西暦・元号変換機

西暦・元号を相互に変換します

年 
※漢字 or ひらがな
西暦 ※南北朝時代は を使う
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概要

西暦・元号を相互に変換します。日本に存在したすべての元号を対象にしています。

日本に初めて元号ができた西暦645年以降が対象です。 西暦654年11月24日~686年8月13日までと西暦687年10月01日~701年5月2日までは元号が存在しません。 この期間はそれぞれ便宜的に「(白雉後)」「(朱鳥後)」としています。

南朝と北朝は1392年に合一しました。南朝は直前まで元号に元中を使用していましたが、 合一後は北朝で使用していた明徳を使用しました。そのため南朝の元号をたどると、 元中9年直後が明徳3年になります。

補足

コメント

本ツールでは「元号→西暦」の変換の際に、月日を無視した簡易な変換方法を採っています。 江戸時代以前は、西暦では無く中国暦を使用していました。西暦と中国暦では年の変わり目が異なります。 そのため、旧暦を西暦に変換すると基本的には2つの年にまたがります。 例えば「弘化二年」は、西暦1845年02月07日~1866年01月27日にあたります。 しかしこれを大部分が属する「1845年」と表現しています

ただし年末近くに改元した場合、前の西暦には属していない場合もあります。 例えば、弘化は12月2日に改元されため、弘化元年は西暦1845年1月9日~1845年02月06日に該当します。 すでに述べたように本ツールでは、弘化2年をその大部分が属する1845年と表現します。 弘化元年は機械的にその前年の1844年と表現したくなるところですが、実際には弘化元年は1844年に全く属していません。 ですので、弘化元年を1844年と表現することは明らかに間違っています。

そのため本ツールでは、弘化元年も弘化2年も1845年と表現するようにしています。 (類似ツールではこの部分を正しく表現できない、例えば弘化元年を実際には属していない 1844年と表現してしまうものが多いです。またWikipediaの記述でも間違いが多いです。 実は本ツールでもこの点でバグがありました。それだけ間違いやすい部分だということですね。)

変換例

  • 1392 (北朝) → 明徳 3年
  • 1392 (南朝) → 元中 9年
  • 1393 (南朝) → 明徳 3年
  • 弘化 1年 → 1845年
  • 弘化 2年 → 1845年
  • 弘化 3年 → 1846年
  • 慶応 1年 → 1865年
  • 慶応 2年 → 1866年
  • 1844 → 弘化 2年
  • 1845 → 弘化 2年
  • 1847 → 弘化 4年
  • 1848 → 嘉永 1年

関連・参考リンク

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